ストーリー
幼少期
1963年2月15日、香川県丸亀市にうちわ製造業の両親のもと3人兄弟の真ん中の長女として生まれる。
幼い頃から着せ替え人形や絵を描く事、歌う事が大好きな子どもでした。
お婆ちゃんが不思議
小学6年生
ものごころついた頃から家に仕事の手伝いに来る父方の70代の祖母がいました。
大好きな祖母でしたが、腰が曲がり総入れ歯で軽度認知症にもなっていました。
私たちきょうだいは祖母とカラダを使った遊びはできませんが、仕事の合間に一緒にトランプしたりお手玉したり、テレビで大相撲みたりしてました。
子供心に祖母が同じ人間なのにあまりにも体型が違うし、短期記憶力が苦手な事が不思議であり、生きる事が大変そうにも見えました。
中学、高校時代の挫折
人を笑顔にするのが大好きなお茶目な子。しかし学校では大人しい目立たない生徒。部活は小中学とも大好きな歌が唄えるコーラス部へ。
まだまだ受験戦争が激しい時代、成績が上位じゃない自分を責めてよく落ち込んでいました。
そんな時、たまたま中学生3年生、クラス替えで気の合う友だちができなくてクラスで浮いてしまいました。
そこから学校が楽しくなく、成績がドンドン落ちて行きたい高校も行けないまま卒業。
高校生活は心が荒んで、やる気も出なくなり勉強する事が苦痛で仕方なかっので成績も下位のまま。
しかし高校3年、受験で進路を決める時、幼い時から興味のあった高齢者の事を学びたいと思い社会福祉学部のある短大を一念発起し受験。
短大を見事合格。
短大で学ぶ楽しさを知る
学園祭
環境も変わり、興味のある老人福祉の勉強だったので楽しく学べ、友だちもでき充実した2年間を送る。
卒論は夏休みにアルバイトした特別養護老人ホームの事をテーマにして提出。
チアリーディングのサークルにも入り学園祭で披露したり、学生ライフを満喫。
会社就職そして結婚
OL時代
地元香川県の一般企業に就職、4年後夫と出会い結婚。
長女出産を機に退職。3人の子宝に恵まれ専業主婦になり夫を支える。
エアロビクスインストラクターになる
3人目を産んだ31歳の時、20代は出産しても体型が戻ってたのに戻らないことに焦りを感じる。
ウエストのくびれがなくなり、体重も思ったほど戻らないまま忙しい夫に頼る事なくワンオぺ育児に奮闘。
そんな時に地域施設で、子ども同伴でも良いエアロビクスのクラスがあり思い切って入会。そのクラスの先生は同じように子ども3人子育て中の高校の先輩。私と違いカラダが引き締まりイキイキされて憧れる。
当時から夫に「自分のお給料だけでは生活できないので働くつもりでいて欲しい」と言われてたので「自分が好きな事で仕事をしたい」といろいろ模索していた。
そんな中、踊るのが大好きだし、シェイプアップもできるなら一石二鳥、エアロビクスインストラクターになる事を決意。
子育てが落ち着いた37歳の時、ずっと習ってたエアロビクスの先生にエアロビクスインストラクターになりたい事を伝え、アドバイスいただく事になる。
39歳の時にちゃんと資格を取ろうと思い養成コースに入ろうとするが機会に恵まれず、結局地元の先生のアドバイス受けながら大阪まで行きテストのみでエアロビクスインストラクターの資格をとる。
40歳で椎間板ヘルニアになる
スポーツクラブでエアロビクス指導
晴れてインストラクターを名乗ることもできて、公民館、スポーツクラブで仕事を始める。
徐々に仕事が増えたが40歳の頃、腰が痛くなり脚の親指が痺れ整形外科を受診。
腰椎4、5番の間の椎間板が飛び出た椎間板ヘルニアと診断される。
「もう仕事ができないのでは?」と不安に襲われたが当時の整形外科の先生に「腰痛があってもできるエアロビクスやればいいのでは?」とアドバイス受け、気持ちが切り替えられて腰痛にならないようなポジションでエアロビクス指導続ける。
機能改善体操、ピラティス、ヨガ、学びを深める
腰痛をきっかけにコンディショニングに興味を持ち機能改善体操、体幹を強く姿勢を良くするためにピラティス、呼吸を整えて心身のバランスをとるヨガ、柔軟性を高めるためにクラシックバレエなど、カラダ作りに必要な事を興味がおもむくまま学び続ける。腰痛以降エアロビクスだけでなく、健康体操、ピラティス、機能改善ヨガなども教える。
健康不安な夫の初めての転勤
子育ても終盤に入り仕事も充実した生活を送っていたが49歳の時、夫が転勤に。普段からお酒の量が多くタバコも吸い運動不足で健康不安があった夫。サポートしたいと思い次男の大学受験が終わったのを機に仕事をすべて整理して夫の転勤先、山口県下松市に移住。
50歳パーソナルトレーナーを目指す
仕事がゼロになったのを機会に健康運動指導士や以前から興味のあったパーソナルトレーナーの資格にチャレンジして合格。
新しくスポーツクラブのパーソナルトレーナーをしたり、地域に出て機能改善ヨガ、健康体操、ピラティスを教える。その間、夫の健康を気遣いながら転勤先の暮らしを楽しむ。
しかし移住1年後、夫56歳体調が悪く微熱が続く。十二指腸癌がみつかり手術。抗がん剤の治療続けながら仕事をする。しかし治療中に今度は白血病を発症。
夫は元気になる事を信じて治療に専念したが、治療の甲斐なく58歳の若さで他界。家族にとって大きな失意に。
夫も日々忙しいながらも飲酒、喫煙、ストレス、運動不足など生活習慣の改善ができていたらもっと健康で長生きできたのではと私の妻としてのサポート不足を悔やむ毎日。
しかし、いつまでも落ち込んでいては天国の夫も心配すると思い、自立した生活に向けて地元丸亀市で仕事を再開。
地元丸亀市に帰省、インストラクター、トレーナーとして仕事を始める
丸亀市に戻り、インストラクターの仲間や友人の助けを借りながら自立した人生を少しづつ築いていく。
丸亀に帰省して7年
現在、オンライン朝活、貯筋運動やパーソナルトレーニング、地域でで70代を中心にスポーツクラブ、公民館、市民交流活動センターで健康体操、ヨガを教える。
「健康は全ての土台」
日々地域のシニア世代の方に指導しながら思うことは
コロナ禍で高齢者の外出自粛によるフレイユ(心身の脆弱)が問題になり
私の教室にも最近は筋力をつけたいシニアが見学や体験に多く来られます。
厚生労働省2010年の統計で生涯医療費2400万円と言われています。その半分近くが70歳以降に使われます。1割負担でも120万、3割負担で360万円にもなります。
また最新の研究で病気やケガで入院した場合、たった2日寝たきりで筋肉は1年分、2週間入院すれば7年分の筋肉がなくなる事がわかっています。
普段から積極的に運動しているシニアは、退院してからも日常に戻れますが、生活するのに精一杯の筋力しかない方は要支援、要介護になる可能性が高いです。
そうならないためにも貯筋(筋肉を貯める)が大事になります。
実際、健康に気遣い教室にこられてる方の一例です。
Kさん(80歳女性)
今でも地域や学校のボランティア、家庭では家族の食事を作り毎日イキイキ暮らしています。90歳になっても自転車でどこでも行けるカラダでいたいと日々運動を心がけてます。
Oさん(90歳女性)
オンライン貯筋運動や運動教室に参加
旅行が大好き。自分が中心になって90歳でも姉妹5人で旅行を楽しんでます。
こんなふうにコツコツ運動する事で医療費に使うのではなく自分の生活を豊かにするために使えます。
自分が幼い頃一緒にいた祖母のような、生きるのが大変そうなカラダの方を少しでもギリギリまで元気でいてもらえるような社会にしたいと思います。
それには運動、食事、生活習慣を整えながら、出来るだけ最後まで自由に楽しく人生を謳歌できるカラダ作りが大事ですね😃
「健康は全ての土台です。」
日々そんな元気で幸せなシニアを増やすオンライン貯筋運動や健康体操教室など微力ながらしていきます‼️
私自身も80歳現役指導者を目指します♪